English

プロの料理人が読んでいる情報誌

  • 二千年の時を経て、なお愛され続ける。

    食材について

    古代人も明石だこを食べていた

    1-1

     眼前に日本有数の豊かな漁場・明石海峡が広がる、兵庫県明石市。かつて芭蕉が訪れ、その句から当時(江戸前期)すでに蛸壺漁が行われていたことがうかがえます。その起源は遥かに古く、弥生時代中期から古墳時代中期(約2300〜1800年前)の大中遺跡(播磨町)などで蛸壺や土製のおもりが出土。古代の明石人はすでにたこ漁を営み、そのおいしさを知っていたのでしょう。
     現在、蛸壺漁を行う漁師は明石全体でもごくわずか。多くは小型機船での底引き網漁です。季節や天候、潮の流れを読み、最速75ノット(時速約15km)で海へ船を繰り出します。また少数ながら、テンヤと呼ばれるカニの疑似餌を付けた道具を操ってたこを釣る、熟練の漁師もいるそうです。
     「日本で最初にたこを食べたのはこの辺りの人間かもしれません。勇気がありましたよね(笑)」。そう語るのは祖父の代から明石浦の漁師であり、明石浦漁業協同組合理事も務める井上英之さん。明石だこの魅力と明石の海の豊かさについてお話を伺いました。

    100種類以上の魚が棲む豊かな海

     明石浦漁港ではたこや有名な明石鯛の他、約100種類もの魚が水揚げされます。大阪湾、淡路島、播磨灘に囲まれた明石海峡は、浅瀬で3〜4m、最深部では140mにもなる極端な高低差があり、海面下はまるでグランドキャニオンにも例えられる複雑な地形。鹿ノ瀬と呼ばれる砂地には大量のプランクトンが発生し、それを餌にするエビ、カニが増え、そこに多くの魚が集まります。豊富なエサを食べ、速い潮流に鍛えられ、身の引き締まった魚へと成長するのだそうです。
     たこもまた複雑な海底に数多く生息する貝、カニ、エビ、小魚といった多種多様なエサをたくさん食べて育ちます。明石の真だこを茹でると赤黒い色になるのは、これらのエサに由来するものです。腕が太く短く、吸盤が大きいのも、激しい潮流の中に生息する明石だこの特徴です。
     真だこの旬は6〜7月。梅雨の滋養あふれる雨を吸い込んで大きくなると言われています。麦の実る季節でもあり、漁師が被る麦わら帽から「麦わらだこ」という愛らしい別称も。たこに含まれるタウリンは夏の疲れを取り解毒にも作用すると言われ、この時期特に重宝されます。
     たこは養殖が難しくすべてが天然物。赤黒く、触って弾力があり、腕がしっかりしているものがおいしいそうです。「しょうゆをつけて刺身で食べるのもいいし、塩で天ぷらもいけます。湯がく時は高温、短時間で。長いと水分が抜けて身が固くなりますから」。

    いまこそ明石ブランドを守り育てる

     明石海峡に生息するたこの多くは真だこです。夏が過ぎ、秋になると真だこのメスは産卵期を迎えます。ところが卵を抱えたメスが、一年中現れるようになりました。漁が進化したこの漁獲量が上がったため、たこが本能的に個体減少に危機感を強めて産卵期を拡大したのではないかと見ています。そこで市内5つの漁協で協議し、出荷サイズを下回るものは海に返し、また卵を抱えたメスは市が買取るなど取り決めました。底引き網漁船の規格も細かく定め、一日の操業時間を限定して乱獲を防いでいます。
     明石は、”まえもん”と呼ばれる豊かな海の恵みがあっての街。明石浦漁協では海水を引いた水槽で活かしたまま、たこは9時半から荷受け、魚は11時からセリを行います。昼には活魚が地元魚の棚商店街に並び、「昼網」という名も付きました。また魚を極力傷つけない「活け締め」も発達。漁協も地元鮮魚店から指南を受け、先輩から後輩へ技術を引き継いでいます。後継者不足もある中、若手漁師を中心に漁師と鮮魚店の交流を図り、漁師が鮮魚店や物産展で販売を手伝うこともあるそうです。知名度のある明石だこですが、さらにブランドを育てる活動を広げています。

  • ひしほWebマガジンについて

    ヤマサ醤油が発行している業務用広報誌「醤(ひしほ)」をウェブサイトで皆さまにご覧頂けるようにいたしました。プロの方にも参考にしていただける食材、食器の記事や「おすすめ技ありレシピ」、有名店の料理人に教えていただく「プロの技 拝見」、日本の食文化に関するコラムなど、クオリティーの高い情報をお楽しみください。

  • カテゴリー