
ビルの間から巨大な東京タワーが姿を見せる東麻布の一角に、「野田岩」はあります。創業二百年を超える鰻専門の老舗。現在の当主金本兼次郎氏は五代目です。明治初期には、坂の上を望めば大名屋敷が立ち並び、お店のある側は、花街や芝居小屋で賑わういわゆる下町でした。
創業以来、鰻の味が染み込み、受け継がれてきた秘伝のタレは、みりんとしょうゆを合わせるだけ。昔は同割でしたが、「時代によって、その割合は変わってきました」と金本氏は言います。
もともとこの界隈には鰻屋が多く、味を競っていました。当時の鰻丼の値段は60銭ほど。しかし、5円近くで出す高級店もあったそうです。「4代目の父は高級店に行き、鰻を焼く匂いで研究していました。そこでタレが違うと気づき、みりんの割合を増やして甘めにしたところ、好評を得たのです」。「野田岩」を人気店として守ってきた秘伝のタレは、戦火で店舗は焼けても防空壕でしっかり守り切りました。

金本氏の代になると、今度は肉体労働をする人が減ってきたことに気づいたそうです。「やはり好まれる味は変わりますね。だから、タレの割合も少しずつ変えてきました。老舗だからと古い味に固執するのではなく、その時代に合わせて変わることが大切なのです」。
お通しの煮こごり
ワインやキャビアなど、洋風のものと合わせた新しい鰻の味わい方を提案したのも金本氏。若い頃、知人に連れられて行ったステーキハウスで初めてワインを飲み、「これはいい」とワインを勉強するようになったそうです。お店では志ら焼にワインを1杯ずつサービスで出したのが最初です。志ら焼にはキャビアも載せました。もちろん、邪道だという人も素晴らしいという人も、賛否両論ありました。しかし、「これだったら絶対に皆さんに喜んでもらえると、自分の味覚を信じていました。ワインは体を壊すくらい飲みましたから」と笑う金本氏に、料理人としての自負が感じられました。
ヤマサのしょうゆの特長は、みりんを合わせた時の相性がいいことと、味が一貫していること。味の微妙な変化は、毎日タレを煮ている時の香りで確認します。「おかしいと感じたことは一度もありません。先代から使っていて、味の変化がないのはすごいですね」と、その信頼は揺るぎません。
鰻巻き
若い人には「基本をしっかりやってから新しいことを考えるのが大事」と言います。「鰻は、間口は狭いけれど奥が深い。〝焼き〟というのは単純に見えて繊細です。毎回同じように焼き上げるのは難しい。そこを追求する心も欠かせません」。伝統を守りながら、タレを変化させ続け、独自の新しい提案を続けてきた五代目金本氏の言葉には、それだけの重みがありました。
「野田岩」
麻布飯倉本店
東京都港区東麻布 1‐5‐4
電話:03-3583-7852