旧東京駅の一等待合室と同じ内装。
床は、関東大震災にも焼け残った
創業当時のもの
浅草・雷門を入り、賑やかな仲見世通りの奥の伝法院通りに「大黒家天麩羅」はあります。1887(明治20)年に蕎麦屋として創業。現在は浅草名物の天丼の老舗として知られています。「昔もグルメ雑誌のようなものがあって、それによると、大正初期には大黒家は天麩羅屋と紹介されています。天麩羅が売れるようになって、自然に蕎麦屋から転身したようです」創業者から数えて四代目、いま大旦那の丸山眞司氏はそう語ります。
老舗なだけあって、90歳ぐらいのお客様が「昔食べたのと味が一緒。おいしいね」と喜んで帰られることがあります。丸山氏によると、「この百年〝味〞は変わっていません。でも実際には、少しずつ味付けを変えてきました。いま昔風に調理すると、濃く感じると思いますよ。人の嗜好は変わるから、お客様の好みに合うよう、少しずつ味付けに手を加えています」。時代に合わせた変化こそが、お客様に”変わらない味” ”懐かしい味”と喜んでもらえる秘訣なのです。
「お荷主さんを大切にしないと店は成り立たないよ」。丸山氏は、先々代、先代からそう教えられてきました。えびなどの魚介や食材、油も、しょうゆ、みりんなどの調味料も、つねに安定した商品を供給してもらえてこそ「大黒家天麩羅」の味が守れるからです。
海老天丼。ご飯が見えないくらいの大海老が人気
大黒家天麩羅/大旦那 丸山眞司 氏
もちろんヤマサしょうゆとの付き合いも、創業時から。「味が安定して間違いがない。それは私の知っている先々代の頃から変わりません。ヤマサのしょうゆは江戸っ子らしくて、品がいい。心を込めて作ってくれていると感じます。東京の料理には欠かせないね」と丸山氏は話します。
お店の若い人にいつも強調しているのは、「お客様に、いかに満足して帰ってもらうか」。味はもちろんのこと、お店で気持ちよく過ごせることがとても重要です。「〝花無心招蝶 蝶無心尋花〞という言葉があります。それぞれが自分の本分をしっかりやることで、自然に和合する。調理人と料理を出す人が連携して、はじめてお客様の〝思い出〞がつくれるのです」。
代々受け継いできたこうした想いは、毎朝、調理場に入って伝えます。それが「大黒家天麩羅」の伝統を変わらず引き継いでいくことでもあります。「難しくはない、ただ自分の本分をやればいい」と語る丸山氏の笑顔を見ていると、たくさんのお客様が「大黒家天麩羅」で思い出を心に刻み、何度も足を運ぶ姿が浮かんできました。
![]() 天丼作りを任される、 |
「大黒屋天麩羅」 |
台東区浅草1-38-10 電話:03-3844-1111 |
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