
総調理長の田中喬氏が料理の世界に入ったのは、20歳で製鉄会社を飛び出し、転職先を探す間、中華料理店でアルバイトをしたのがきっかけ。「”おいしかった”とお客様が笑顔で帰っていかれる。料理の面白さに衝撃を受けました」。
その後、赤坂、銀座、原宿、自由が丘の中華料理の名店を経て26歳でチーフとなり、昭和50年に新橋亭へ。店の味を任され、高級中華料理を追究してきました。
田中氏とヤマサしょうゆとの出会いは、基礎を学んだ修業時代。師であった中国人の料理人たちが使っていました。「味の基礎(ベース)を学んだしょうゆなので、それ以来変えることなく使っています」。煮込みの多い上海料理では、しょうゆと酒にこしょう、砂糖、スープ、油を合わせていきます。他の味を引き立てるヤマサしょうゆは、油ともよくなじむと言います。「一度、その味から脱皮しようと、ヤマサしょうゆ以外で試したこともあります。でも、舌になじまず全てのバランスが崩れてしまい、そこで基礎の大切さを、改めて知りました」。
田中氏は14年にわたって年に数日、清王朝の宮廷料理、満漢全席を再現してきました。全国から訪れる客の多くは料理人で、料理説明にも4時間を費やす一大行事です。満漢全席1回で食材が280種にもおよび、次第に野生動物保護や伝染病流行などさまざまな事情で入手できないものが増え、平成26年で一度、区切りをつけました。
平成19年には乾物を戻す高い技術などが評価されて厚生労働省の「現代の名工」に選ばれ、平成22年に黄綬褒章を受章。調理法や技術を伝えていきたいという一方で、孔子や西太后、楊貴妃の料理など、まだまだ自身の興味もつきないそうです。「料理人は死ぬまでチャレンジ」なのだと言います。
若い人は基礎をないがしろにして欲しくない、と語る田中氏。食材は、加工する前の原形をよく知ること。調味料は魔法の宝だけれど、基礎を学んだ上で、自らブレンドすること。そこから未来の宝が生まれる可能性があるのです。「優れた料理人ほど、変なことをしているもの。挑戦しないと、良いものはできませんよ」と熱く語っていただきました。