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プロの料理人が読んでいる情報誌

  • 函館の海にゆらめく漁り火今宵も夜通し漁が行われている

    インタビュー

    全国の漁師も認める函館のイカ

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     毎年6月1日は、函館でイカ漁が解禁される日。北海道での本格的な漁のスタートであり、昆布漁、秋鮭漁へと続いていきます。
     函館でも古くはニシン、サケ、マス漁が盛んでしたが、現在はスルメイカが漁獲量の半数を占めます。日本周辺の海に棲息するスルメイカ(函館では真イカと呼ばれる)は、東シナ海から西側の日本海で産卵、誕生すると見られています。秋に生まれた群れは日本海側から北上し、5月下旬〜6月に松前沖の津軽海峡へ。冬生まれの群れは太平洋側を北上し、6月〜7月にかけて恵山沖の津軽海峡へとやってきます。両方の群れはさらに北上して宗谷海峡まで到達すると、産卵のため折返して南下。再び津軽海峡を通過します。函館のイカの漁期が6月から12月と長いのは、そのためです。
     潮の流れが速い津軽海峡を6月に北上してくるイカは、若く身が引き締まり、コリコリと歯ごたえあってまさに食べ時。「さまざまな海を知る漁師たちも、イカは函館が旨いといいますよ」と函館市漁業協同組合の高谷広行さん。イカ漁について、話を伺いました。

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    厳しさの中で漁を続ける漁師たち

     函館でイカ漁が本格的に行われるようになったのは、明治初期といわれています。佐渡の漁師たちが出稼ぎにきて漁具漁法を教えたとか、富山や石川のイカ漁船が北上するイカを追って、函館までやってきたなどと伝えられています。実際に、漁師の住む港町では北陸出身の家が多いそうです。出港前のイカ釣り漁船を、漁師の吉田智さんに見せていただきました。9トンの船体に生すけ簀がつき、漁り火となる集魚灯ランプが40個、自動イカ釣り機が10台ほど設置されています。ガソリンは往復で一日800〜1000リットル。イカ漁には、まず費用がかかります。さらに、漁にはひとりで出る上、午後3時から4時頃出港、翌朝4時頃帰港するという昼夜逆転の毎日。資源は豊富で需要がありながら、後継者が育ちにくく、人手が足りないのが現状です。

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     朝3時半、まだ暗い中を煌々とライトをつけたイカ釣り漁船が、次々と帰港します。釣ってきたイカは、「活魚」として水揚げ後すぐ水槽付きのトラックで出荷するものと、「いけす」とよばれ市場でセリに出すものがあり、船は日替わりで振り分けられます。活魚の売値が高いため、組合内で収入差を作らないための仕組みです。空が明るくなってきた5時前、東京の築地まで「活魚」を運ぶトラックが出発。この日、荷台の水槽には1650杯のイカが積まれていました。

    守り続けたいイカ食文化

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     「イカの街、函館」には、朝食にイカの刺身を食べる習慣があります。早朝からリヤカーでイカを売歩く「イガー、イガー」という行商の声は、昔から街の名物のひとつ。ただ、最近はあまり聞かなくなったといいます。
     船上で漁師の手によって選別し、箱に並べられた「いけす」のスルメイカは、毎朝5時半にセリにかけられます。セリの輪の中に、「海童丸」の屋号でイカの移動販売を行う紺野さん親子の姿がありました。函館市内の得意客の元へイカを届けています。6時から7時半が移動販売の勝負時。生活の変化で家々の朝が遅くなり、朝食にイカを食べることも減りつつある中、函館の食文化の担い手として仕事を続けています。
     漁港に隣接する駅二市場では、朝とれたイカを市場内の釣堀で釣り、刺身にして食べられます。コリコリとした食感の身、まだ動いているゲソ、新鮮で臭みがないゴロ(内臓)などを生姜じょうゆでいただきます。
     漁協の女性部・通称「浜のお母さん」たちが活躍する、注文を受けて水槽のイカをさばく「入舟番屋」も人気です。また、市と漁協では、函館市に住む親子を対象に、イカのさばき方を教える教室を開催。募集すると、すぐ満員になるといいます。ライフスタイルが変わる中でも、函館の若い母親たちは、子どもと一緒に地元の食文化を学ぼうとしているのでしょう。

    ●取材協力/函館市漁業協同組合、駅二市場、海童丸

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