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プロの料理人が読んでいる情報誌

  • 変遷する食文化に応えるのが「民具」。 その時代に「あったらいいもの」を作り続ける。

    食器について

    奈良時代から続く焼きものの里

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    三重県伊賀市丸柱。忍者たちの修行の場であったことが想像に難くない緑深き山間の集落に、伊賀焼の里はあります。その起源は奈良時代と古く、桃山時代には、領主の筒井定次や藤堂高虎が茶人であったことから盛んに茶の湯の道具が作られました。高温の登り窯で何日も焼かれて現れる、ガラス質や焦げの景色「自然釉」。自由闊達な作風も相まって「織部好み」と茶人たちに愛され、その名を知らしめました。江戸時代には一時衰退しましたが、再び領主によって作陶が奨励されると、京都などから技術者を招いて多くの日用雑器が作られるようになり、現代の伊賀焼の基礎となりました。
    その特長は、直火にかけても割れない陶土にあります。伊賀焼の土は、「古琵琶湖層」という400万年前の琵琶湖の湖底であった堆積層。生物の遺骸を無数に含み、窯で焼くとその部分が細かな気孔(ポーラス)となります。その気孔が蓄熱力を高め、遠赤外線効果と相まって、料理を美しく仕上げるのです。

    老舗窯元を救ったひとつの土鍋

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    「伊賀が焼きものを続けられたのは、良い土と、窯の燃料となる赤松が豊富にあったからです」1832(天保三)年開窯の窯元、長谷園七代目当主、長谷優磁さんは語ります。約70人のスタッフを抱え、土鍋、器、卓上調理器など数多くの焼きものを生産する老舗窯元も、一時は存続の危機に見舞われました。伊賀土の魅力を活かした外壁用タイルを生産していた頃、阪神・淡路大震災が発生。タイルが建物から剥がれ落ちたことから敬遠されるようになり、莫大な在庫を抱えました。そんな長谷園を救ったのが、ひとつの土鍋でした。
    「料理屋でいただくようなご飯が、自宅で簡単に炊ける土鍋を」と、10年の月日をかけて開発した炊飯土鍋「かまどさん」が料理研究家の目にとまり、なんと約55万台の大ヒット商品になったのです。長谷園はもちろん、業界でも初めてのことでした。さらに、上ぶたや中ぶたを破損したお客様に向けて、パーツ販売にも踏み切りました。土鍋は焼き上がりで微妙にサイズが変化するため、ふただけを販売するなど従来では考えられないこと。それを、お客様の土鍋のサイズを一つひとつ確認し、合うふたを用意することで、末永く使ってもらえるファンを増やしてきたのです。

    「作り手こそ真の使い手たれ」

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    長谷園には、「作り手こそ真の使い手たれ」という、代々受け継がれてきた言葉があります。「だから、時代に合わせたものを作り続けます。商品が多すぎるとも言われますが(笑)」。ふたが器にもなる土鍋から、電子レンジ用、IH用の調理具まで、常識をくつがえす焼きものが商品化されてきました。
    また、家庭の食卓こそ教育の場であると「卓育」を唱え、家族が囲む卓上で「煮る、蒸す、焼く、燻す」ことができる土鍋を編み出しています。
    「卓上燻製器の”いぶしぎん”は私が欲しかったもの。完成したときは本当に嬉しかった。こんなことをやっているから、楽しゅうてね」。それぞれの道具でどんなレシピができるのか、ホームページや小冊子で細かく紹介しているのも、「真の使い手」であるからにほかなりません。
    もちろん長谷園では、料理店から注文を受け、用途に特化した鍋や器も制作しています。鍋の形状、テーブルの大きさ、何人で、どんな料理を囲むのか。料理人の声から誕生した道具が、家庭用に活かされることも多いと言います。「料理のプロから特化したものを作らせてもらえるのが、何よりありがたい。いまなお、勉強になりますよ」七代目が、いっそう目を輝かせました。

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