
明治時代に福沢諭吉が提唱して銀座に開かれた実業家の社交クラブ、交詢社。その側で行き交う紳士たちを見守るかのように佇むのが、焼き鳥の老舗「銀座鳥繁」です。初代夫婦が現在交詢社の駐車場がある場所に屋台を出してから、一昨年で80年が経ちました。
「当初から良いものをお出しすることにこだわり、ハイプライスな屋台であったようです。天丼一杯と一串が同じ値段だと言われたことも(笑)」とエピソードを語る、三代目主人の保立繁一氏。こだわりの焼き鳥は銀座の人々の間で評判となり、昭和13年には店を構えるまでになりました。
「祖父母が築いた店に親父たち息子が4人、そのお嫁さんたち4人も加わり、家族で店を続けてきました。若い頃は家を出た時期もありましたが、私の仕事はやはり店を守り続けていくことです」

その思いは先代からの常連客の、温かい声にも支えられています。代が替わってからは「大丈夫か」「変わらずおいしいよ」と励まされ、新しいことを試みると「これをやったのはお前か?」と叱られたことも。一方、東日本大震災の後に始めたランチには、「夜は暗くて足下がおぼつかないけれど、昼なら安心して来られる」と感謝されたこともあるそうです。お客様との関係そのものが店の歴史であり、かけがえのない財産なのです。
お客様を大切にすること。そして、おいしいものを出し続けること。昔と変わらぬ、こだわりの焼き鳥のために大切にしているのは、鳥繁オリジナルのタレ。同じものを長年同じように作り続けるには、味の変わらないしょうゆが欠かせません。

「お客様の中には、『しょうゆはヤマサだね』と言う方もいらっしゃいます。初代が生んだ名物メニュー、ドライカレーにも、最後の仕上げにしょうゆを利かせます」。昭和55年の開店時の記念写真にも、ヤマサしょうゆの昔懐かしいしょうゆ樽が祖父母たちと一緒に写っていました。
その保立氏だからこそ、同じ店で経験を積む大切さを語ります。「キャリアアップのつもりで店を移っても、ダウンしたと思われる若い人が少なくありません」。
先日、銀座鳥繁で55年の間焼き方をつとめた職人さんが、引退されました。その方はどんな注文にも対応でき、その方の焼いた串しか食べない著名なお客様もいたそうです。「何千本、何万本と焼いてきた経験に代えられるものはないのです」。その「やり続ける」意思は、いま三代目のお店にしっかりと引き継がれています。
銀座鳥繁/三代目主人 保立 繁一氏