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プロの料理人が読んでいる情報誌

  • ものづくりに終わりはありません。一生修行ですよ。

    インタビュー

    江戸時代と変わらない銅おろし金

    dou21 江戸時代中期に図解入りで編纂された、当時の百科事典『和漢三才図会』。その中に、現在と変わらない形の銅製おろし金が紹介されています。両面に目があり、細かい方でわさび、粗い方で大根をおろす使用法もそのままです。江戸でそば、鮨など食文化が発展したと同時に、鉱物の産出が盛んであった時代に、銅製のおろし金は広く使われていました。現在ではセラミック、アルミ、ステンレスなど様々な素材、形状がありますが、特に大根おろしには、組織をつぶさず水分を含んだ状態でおろせる銅おろし金が、いまも最適とされています。
     「完全な手づくりでおろし金を作っているのは、私しかいないと思いますよ」そう語るのは、74歳にして現役の銅おろし金職人、勅使川原隆さん。18歳で先代の父に弟子入りし、現在では葛飾区の伝統工芸士です。
    dou2 勅使川原さんの銅おろし金は、他のものと比べると群を抜いて値が張ります。愛用者の多くは40代以上で、プロの料理人にも人気です。手間をかけて作られた銅おろし金は、25年、30年と使い続けることができます。一般的な五号の銅おろし金で約300g、手にずしりと重みを感じます。銅板が厚いためですが、板が厚くないと後の修理が難しいのだそうです。修理もすべて、勅使川原さんが手作業で行います。あるとき旅先の山口で、料理屋の主人が古いおろし金に困っていたそうです。「私が修理してあげると言ったら、大喜びされましたよ」と、笑顔で振り返ります。

    苦労もあったが、やめなかった訳

    dou3 先代の父が銅おろし金の店を始めたのは、1935(昭和十年)年の頃。「父は仕事のできる、達者な人でした」。ところが勅使川原さんご自身は、自分は不器用なので、ものづくりに向いていないと思っていたそうです。「たくさん作れば分かるようになるから心配ない。最初からできるやつなんていないんだ」そう先代にさとされ作り続けるうち、その面白さに気付いていきました。
    dou4 オイルショックでは銅板が値上りするなど、不景気で銅おろし金が全く売れない時期もあったと言います。それでも先代のご両親は、昭和初期の不景気の経験から「悪いときが長く続くわけではない」と言い、銅おろし金づくりをやめませんでした。大変な時を乗り越えてこられたのは、玉子焼器、鍋など他の製品も銅で作ることができたから。「注文を受けたものは何でも作る。そのおかげで細々とやってこられました」。一週間ひとりでフル稼働して、完成する銅おろし金は30枚前後。体力的に数は減ってきましたが、いままで続けてこられたのは健康のおかげだと言います。

    やはり、ものづくりは面白い

    dou5 銅おろし金作りは、銅から板取りをし、穴あけ、刻印、錫を焼き付けるなどの下準備を経て、要となる目立てを行います。目立てに使う鏨も、自ら準備します。包丁の芯に使われる錆びに強く固いハイス(高速度鋼)に、自分の使いやすい角度の刃をつけます。これができると一人前で、目立ての角度も思うように入れることができます。
    職人となって56年が経ついまでも、もっと良い目立てができないか、と常に考えます。体力の衰えから一部を委託することも検討したそうですが、結局「人の仕事は気に入らないし、自分でやらないと気が済まない」と断念しました。
     最後に、目立ての作業を拝見しました。金槌の音がリズミカルに響き、鏨に馴染ませるごま油の香りが、微かに漂います。この工房に、後継者はいません。無くなるときは無くなる、そういう時代だから、と勅使川原さんは静かに語ります。職人育成に助成金などが用意された葛飾区でも、新しい職人は育って一人。時間がかかる事をいま続けていくのは、本当に厳しいと言います。「職人の生活は、楽ではありませんよ。でも、ものづくりは面白い。他にも覚えたいことがあるから、一生修行ですよ」と銅おろし金以外の試作品を手に取る勅使川原さん。これから先も、ものづくりを続けます。

    ●取材協力/江戸幸 勅使川原製作所

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