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プロの料理人が読んでいる情報誌

  • 匠の技の伝統と 次代を見すえた科学で育む

    食材について

    松阪牛の歴史は文明開化とともに

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     松阪を含む伊勢地方の土地は、田畑の土が深く粘性があり、耕すのに牛の力が必要でした。人々は昔から、役牛の産地但馬(兵庫県)で生まれ、徳川家の威光で仲介料が免除された紀州(和歌山県)育ちの子牛を買い付けました。和歌山街道、高見峠を越えて、多くの牛が連れてこられた松阪市飯南町深野には、松阪牛発祥地の碑が建っています。

     当時から、性格が大人しく、よく働く若い雌牛が重宝されました。明治に入り肉食文化が広がると、三、四年農耕に使った牛を一年休ませて穀物や稲わらを与え、肉牛として売る「太牛」に育てるようになります。農耕、田畑の肥料、現金収入にもなる牛を、農家は家族同然に可愛がりました。

     明治5年、山路徳三郎という医師が、松阪から東京まで牛を連れて片道20日間の大行列「牛追い道中」を開始します。文明開化のシンボル、牛鍋人気の高まりとともに松阪牛の肥育が盛んになり、昭和10年、東京芝浦市場の「全国肉用畜産博覧会」で最高賞を受賞。その名は全国に知られるようになりました。肉質を良くするためビールを飲ませ、焼酎でマッサージするという肥育法でも注目を集め、平成14年に行われた松阪肉牛共進会では過去最高の一頭五千万円の値が記録されます。

    BSEの苦難を経て定義を一本化

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    ところが平成13年のBSE(牛海綿状脳症)の発生から、各地で食肉の偽装が発覚。生産地として松阪も大打撃を受け、翌年には松阪牛個体識別管理システムを導入し、これまで曖昧であった松阪牛の定義を「旧22市町村の指定地域で肥育された黒毛和種の未経産雌牛」等に統一します。農家が子牛を買い付けると食肉公社の職員が牛舎まで赴き、牛一頭ごとに割り振られた個体識別番号を耳標で確認、写真撮影します。出荷時には、個体識別番号を確認し、登録データと照合するなど、各個体の安全性を一元管理し、全頭のデータをインターネットで公開しています。

    「いまでは、農家が手塩にかけて育てた牛を、安心安全と胸を張って送り出すことができます」と松阪市農林水産課畜産係 石田賢太郎さん。

    味の決め手は生産者の愛情

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    現在、松阪牛の農家は110戸(平成26年1月現在)。その規模は数頭から千頭を越えるまでさまざまで、肥育方法も農家ごとに個々の技術があります。石田さんによると、いまビールや焼酎を使用する農家はごく少数とのことです。

     「牛も科学です」と断言するのは、前川農場代表取締役の前川誠さん。牧場の管理獣医師の経験から、従来の肥育法を科学的に見直してきました。喧嘩をさせないために、子牛の角を切る除角や肥育日数による牛舎の移し替えを行い、飼料の徹底した管理などによって、生産効率を高めながら肉質を向上。それでも、やはり一番大切なのは牛への愛情だと言います。

    「愛情を持って育てられた子牛を買い付け、愛情を持って運び、愛情を持って徹底的にしつけをする。それがおいしいお肉をつくるのです」。前川農場では、消費者が安く買えるようコストを下げる取り組みとともに、但馬地方から厳選された子牛を長期肥育する「特産松阪牛」も育て、著名デパートの精肉売り場で別格の扱いを受けているそうです。

     明治35年創業の牛銀本店では、松阪牛発祥の地・深野の農家から、我が子のように育てられた一頭を買い付け、精肉の販売から和・洋の料理まで手がけています。農家の方と牛が散歩する昔ながらの様子は、本当にのどかで美しいと言います。

     現在、松阪牛の数は年々増加し、手がける農家は減っています。伝統と革新の狭間で、牛に接する人々の愛情だけは、いまも変わることがありません。

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