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伝統産業に科学の光を

伝統産業に科学の光を

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10代濱口儀兵衛

10代濱口儀兵衛

明治時代に入ると、醤油はいよいよ庶民の生活必需品として定着し、消費量が増えていきました。同時に、手工業的な要素が強かった製法も、機械化が進んでいきます。
10代濱口儀兵衛である梧洞が家業を継いだ1893年(明治26年)は、ヤマサ醤油が近代化の道を歩み始めた頃です。 世に醤油王と謳われた梧洞は、11代に家業を譲った1943年(昭和18年)までの50年間、醤油醸造を微生物の力に頼る農業発想に加えて、微生物が働きやすい環境を作る工業的な発想を研究し、取り入れました。
彼は、初代から築き上げた品質本位の醤油作りを守り続けると同時に、醤油製造業の近代化と発展に寄与したのです。

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醤油研究所を設立

醤油研究所

カンと経験に頼っていた醤油醸造を科学的に解明するため、ヤマサ醤油は明治時代に醤油研究所を設立しました。以来、100年以上の歴史を持つこの研究所は、ヤマサ醤油の味の要であるヤマサ菌(こうじ菌)の改良に力を注ぎ、優れた研究者を育て、いくつもの新たな発見・発明を生みだしました。
今日ではまた、醤油のみならずバイオテクノロジーの世界にも大きく貢献しています。

現在の研究所

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関東最初の宮内省誤用達醤油

関東最初の宮内省誤用達醤油

1895年(明治28年)に、ヤマサ醤油はその品質の高さが認められ、関東初の宮内省(現在の宮内庁)御用達に選ばれました。

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工場設備の機械化

梧洞が家業を継いだ1893年(明治26年)、ヤマサ醤油の生産高は約4000石(約720kl)でした。
その後、工場や設備の新設と機械化、更には銚子にあった醤油醸造業者のヤマジュウ醤油などの吸収・合併などにより、35年後の1928年(昭和3年)には、生産高が30倍にも拡大しました。

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株式会社の設立1928年(昭和3年)11月、それまで濱口儀兵衛商店としていた社名を株式会社組織に改めたことを期に、ヤマサ醤油株式会社としました。当時は地名や主宰者の文字を社名に使うことが多かった中、あえて商標(商品名)でそのまま命名し、現在に至っています。

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戦車

1893年(明治26年)にわずか20歳で家業を継いだ梧洞は、1943年(昭和18年)に一線を退くまでの50年間、ヤマサ醤油をより発展させました。
10代目を継いだ直後に地元醤油屋の設備・土地を請われて買収し、日清戦争の気配が濃厚の中、大々的な宣伝で販路を拡大。また、第一次世界大戦中は醤油界に好景気が続いたため、新設備で整えた本店と研究所を新築。逆に第二次世界大戦中は配給制度に縛られた不自由な統制経済の中、堅実な経営を維持しました。

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紀州から銚子へ

教科書にも載った「稲村の火」

伝統産業に科学の光を

医療の世界でも活躍